風水と日本の歴史

日本で初めて風水に興味を持ち、実践したのは聖徳太子といわれています。

古代の朝鮮半島南西部にあった百済(くだら)から渡来して歴法を伝えた僧侶が日本に風水書を持ち込み、聖徳太子がそれに興味を持ちました。その後、聖徳太子は自分で中国の福建省に人を派遣して風水を学ばせ、全国に広めていったそうです。
平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代と風水を取り入れた都市造りはどんどん受け継がれていきます。

千年以上もの長い間、日本の都として機能した京都の平安京は、風水に基づいて作られた都であることはご存知でしょうか。

碁盤の目状に設計された平安京は西暦794年、桓武天皇によって建都されました。
はじめは長岡京(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)に都を移しましたが思うように進まず、起死回生を計って、風水的に最適の場所であった山背国というところに遷都しました。
これが平安京(現在の京都府京都市中心部)です。
この平安京遷都にあたって、桓武天皇は風水的に最高の吉相といわれる地相「四神相応の地」である山背国という場所を選び、さらに中国の古典に詳しい高僧や陰陽師を集め、風水のあらゆる知識を総動員して都造りをしたと言われています。
「四神相応の地」とは地理的景観が四神の存在にふさわしいすぐれた場所のことで、東に流水(青竜)、西に大道(白虎)、南にくぼ地(朱雀)、北に丘陵(玄武)が備わる土地です。

イラスト:KKロングセラーズ「家相・部屋相の風水開運塾」より
イラスト:KKロングセラーズ「家相・部屋相の風水開運塾」より

平安京から江戸へ遷都する際にも、その都市計画から江戸城の建築にも風水が用いられます。

徳川家康が江戸にはいったのが西暦1590年。
風水の本には天下統一を目指す家康は、風水的に最高の場所であった江戸を自ら選んだ。ともあります。
関東平野にある江戸は必ずしも理想的な土地ではなかったのですが、それを徳川家康や天海僧正という人物が「言霊法」というものを使ってあちこちに霊力のある山の名前を与えています。
また、もともと江戸の街に流れてくる氣のルート「龍脈」から吹き上げてくるよい「氣」を集めて、それを循環させるために甲州街道、東海道をつくり、それらと富士山や秩父山系から神田明神を通る3本の「龍脈」が江戸を支えているそうです。

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イラスト:「江戸の町(上)-巨大都市の誕生-」内藤昌 著/穂積和夫 画 草思社〕より

江戸は天海僧正らが将軍3代にもわたり、川の流れを変えてまで「氣」が集まるように細工したそうなので、現在でもまだその影響が残っていて、日本は東京を中心に考えられるようにできているそうです。

しかし平安京も様々な角度から風水を駆使し不動の都として栄えたのですが、時代を経る中で次第に左京と右京のバランスが崩れてきて、その土地の気運が変わっていきました。
吹きだまりの「氣」というのはどこかに反動を呼ぶので、少しずつ循環させていかなければいけないのです。

現在の東京は上へ上へと高層化してしまって、人間の生活を取り巻く環境学である風水的目線で考えると、地面は自分の地盤ですから、あまり離れないほうがいいとは思うのですが…

もう少し、風水を取り入れて都市開発を進めてもらえるともっと日本はもっと氣が良くなるかもしれませんね!

 

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