風水の歴史

中国ではその昔、土地に建物を建てたりするときは亀の甲羅や獣の骨を焼いてひびの入り具合で吉凶を判断するなど、占いによって決めていました。

歴史は進み、古代中国の漢の時代に厳しい気候や氾濫に悩まされたことにより、徐々に占いではなく「風水」という環境学として考えるようになりました。
郭(ハク)という人物が書いた葬書の中に「氣は風に乗じて散じ、水に界られて即ち止まる」という言葉が書き残されており、後にこれが「風水」となります。

読んで字のごとく「風」と「水」

「風」は氣の流れやエネルギーの流れなど目に見えないものから、実際に体で感じる空気の流れを指し、「水」は空中に含まれる水分をはじめ、自然界全体の水のことを指します。
風と水は私たち人間をはじめとして、大地や森、すなわち自然界に必要不可欠なものですが、ひとたび自然災害になると風と水は脅威となります。人々は激しい気候変動や川の氾濫など、自然災害が生活や住む人に及ぼす影響を見極め、この厳しい環境でいかに住まいを快適にするかを考えました。そして、様々な観測データを元に長年のノウハウと知恵が集まり、「風水」が確立されていったのです!
それは生きて行くための知恵であり、快適に暮らすための自然環境学の始まりとなりました。
その後、人間と自然とを同調させて「気持ちが良いと感じる空間」を吉とし、7世紀から13世紀にかけては方位磁石が普及し、風水は17世紀半ばまでより正確な統計学として大いに発展しました。

中国から日本に風水が伝えられたのは飛鳥時代と言われています。そして、中国で風水が今の形に確率され始めたが13世紀の初期だとされています。
この数百年の間に、日本では古代風水の一部の理論のみが取り入れられ、中国本土とは別の形で、日本独自の「陰陽道」や「家相」へと発展を遂げたのです。
ですので、本来の風水とは少し違うものとなります。

また、近年日本で広まっている「風水」という名のインテリアや占い的要素の強い風水もイベント的なところのみ切り取られ、日本人に受け入れられやすく再輸入されたものと考えるといいかもしれません。
風水は願いを叶えたり、未来を占ったりするものとは違い、住まいを快適にして個々のポテンシャルを最大限に引き出し、不運を積極的に回避して幸運を掴む(あくまでも)術なのです。